軒下から雨を眺める。

日々沸き起こる疑問への追及、または何かの感想。

人との繋がりなんてなければよかったのに。

 人との継続的な関係を保てない。保てないというか、わずらわしくなる。一人でいるのが気楽で好きで、仕事の休み時間に話すような友人も一人もいないのだが、さすがに一年続けていると顔を合わせやすい人というのもできて、いわゆる「顔見知り」とよべる人がいる。ろくに会話もしたこともないのに奇妙な連帯感が生まれて、たまに顔を合わせて「おはようございまーす」「おつかれさまでーす」などと挨拶をするのだが、まあこれが面倒くさい。面倒くさいというか、ふいに「なんで私はこの人と挨拶を交わしてるんだろう」とふと我に返る。「なんでこの人は私に対して挨拶をするべきと認識したんだろう?」ときどき話をしてても、ちっとも心の距離が縮まる気がしない。少なくとも私のなかでは。向こうは私のことを「仲良し」と認識することがままあるらしく、びっくりしてしまう。

 端的に言って、人に興味がないのである。だから人が自分に対して興味や関心を持つ現象が理解できない。そういうものだと知っているつもりだが、やっぱり理解できない。私はどうも人を背景と同等に見ているらしい。いや同等以下だ。空とか街並みとか街路樹の方がよほど関心がある。人など動いてしゃべるだけのただの肉のかたまりだ。ただ動いて音を出すだけだったらよかったのに、面倒なことに感情もあれば私を認識したりする。私の存在に気づかなければよかったのに。

 学生時代、不思議なことに、図書館で本を読んでいたりするとときどき話しかけてくる人がいた。雰囲気の落ち着いた人で、当たり障りのない、いまでは内容も思い出せないたわいないことをその人とぽつりぽつりと話した。話している間、「どうしてこの人は私に話しかけたんだろう」とずっと不思議だった。私と話してて、この人になにかメリットがあるのか、私と話してて楽しいのだろうか。もしかして、あの人は私と仲良くなろうとしてくれたんじゃないかと思い当たったのは、当時からすでに三年くらい経っていた。

 友達がほしい、と思い込んでいた時期があった。高校一年くらいのことである。友達がいなければ人間として終わっていると社会や世間といった何かに思い込まされていた。本当は友達がほしいなんて微塵もおもっていなかったので「友達が必要だけど友達なんてほしくないほしくないほしくない……」と矛盾したまま抱え込んで、友達を作るための行動を実行に移すこともなく、ようやく「友達はいなくてもいい」とおもえるまでに落ち着いた。

 大概の「友達がほしい」的なお悩み相談の答えは「あるがままの自分でいれば友達ができる」とか、「友達なんていなくてもいい、とおもえたら、ふいに友達ができるかもしれない」とか言って締めくくる。この「友達がいらないとおもえたら友達ができる」とかいう結びがしゃらくさい。鼻につく。人間はけっきょく何がなんでも友達を作らなければならないという思想が透けて見える。

 なぜ皆友達をほしがるのだろう。なぜ空いた時間さえあれば、仲良くなっただれかおしゃべりせずにはいられないのだろう。なんの目的もない、ただ楽しみ時間をつぶすだけの会話で、どうしてあんなにも幸せそうになれるのだろう。私には皆がエイリアンかなにかに見える。

 「一人だとおもわれたくない」ってなんだろう。一人だからってなんなんだろう。村八分にされて火炙りにされるとでもおもっているのだろうか。どうして一人だとおもわれたくない一心で人と話したりできるんだろう。いやどうして人との会話が楽しいとおもえるんだろう。何度見ても何度考えてもわからない。どうして「友達がほしい」とか「一人でいたくない」とおもえるんだろう。どうして私はそんなふうにおもえないんだろう。

 どう考えても私は人間に生まれるはずじゃなかった。神様の設計ミスか発注ミスだ。木か苔か石とか無機物に生まれるはずだったのに、なにかのミスが起こって人間の生産ラインに紛れ込んだにちがいない。

 生まれてこなければよかった。人間に生まれてこなければよかった。生まれてすぐに死んでいればよかった。自殺とか以外の、周囲の人が納得して諦められるような死因でこの世から退場できればよかったのに。

 両親が私のことを大事にしていなければよかったのに。姉が私のことを心配するような人でなければよかったのに。一年に一度しか会わないような親戚が、私に笑顔で話しかけなければよかったのに。私を認識して、話しかける人なんかいなければよかったのに。

 優しくされるたびに、親切にされるたびに、自分がそういう人間でないことを突きつけられて惨めになる。人の顔や名前を覚えられないし、関心を持てない。話の最中に気が散って、内容が頭に入らない。私のことを大切にする人たちを、同じように大切にできない。皆が皆、私のことを好きじゃなかったら、連絡手段もすべて断ち切って、だれも知らないどこかに失踪できたのに。もうずっと存在してたくなかった。

 承認欲求のようなものもあるにはある。自分を振り返って、両親に望むように承認されなかった、いわゆる自分がアダルトチルドレンであることもわかってきた。だが、望むように承認されたところで、私はその人とずっとこの先、仲良くする努力をしたいとおもえるだろうか。

 小学生の頃に仲のいい友達がいた。その友達といっしょに遊ぶ時間はすごく楽しかったが、学年が上がるにつれて、友達は塾や習い事にいそがしくなって、気づいたら疎遠になった。あのことは自然発生的に友達になっていたのに、もういまとなってはどうやるのか、どうやったのかまったく思い出せない。

 中学の頃、出してもいないのに律儀に年賀状を送ってくれる人が数名いた。さすがに申し訳ないのでお礼として後から年賀状を出したが、その年賀状を出すのが面倒で面倒で仕方がなかった。「あけましておめでとう」と人数分書くのだけ、どうしてこんなことをしなければならないのかとその時間ずっとイライラしていた。ちなみにどの人も私の好きな人だった。でなければそもそも返事を書かないし、年賀状もこない。あるとき唐突に、「そうだ、年賀状書くのやめればいいじゃん」と気づき、その年から返事も書かなくなった。案の定、次の年から年賀状は一通もこなくなった。寂しくないといえば嘘になるが、それよりももう年賀状を書かなくていい安堵感が勝った。

 学生時代にふと、私は母が死んだところで泣かないのでは、と思い至ったことがある。毎日の家事や、料理をしてくれる人がいなくなって不便と感じるだけで、母の死そのものを悲しむことができないのではと。

 ずっと昔から、それこそ子どものときから、周りの望むように合わせて反応してきた気がする。人間らしく、普通の子どもらしく、その場の状況と知識と経験に照らし合わせて、正解とおもえる行動や言葉をはじき出してきた気がする。人間の皮を被ったコンピュータと考えるのがとてもしっくりくる。どうにも血の通った人間の反応におもえない。

 漫画や小説やすきなものがあるが、それもどこか冷めている。話の続きが気になっても、途中で読めなくなっても「まあいいや」とすぐ諦めがつく気がする。昔はこうじゃなかったとおもう。それこそ自分の好きなものやこだわりに執着して、泣き叫ぶくらいにぎゃんぎゃん喚いていた。それがどこで諦めて、冷めるようになったのだろう。

 全部捨ててしまいたい。仲のいい家族も、ちょっとした知り合いも全部。ほしい人がいるならくれてやる。贅沢だとかそんな言葉はいらない。世間や他人にとっては尊くてまっとうなものでも、私にとってはそうじゃなかっただけだ。私がまっとうじゃなかっただけだ。

 どうしてこの世は人と人との繋がりを絶対的幸福のように信じているのだろう。いやたぶん知っている。その方が社会にとって都合がいいからだ。そして大抵の人間は本当に、心から人との繋がりを求めて、そして人と繋がることで幸福を得ることができるのだ。そういう人間が大多数だから、人間の数はこれほどまでに増え、社会は発展してきたのだ。私のような、人に囲まれると緊張して不安になり、一人になってようやく心から安心できる人間の方がおかしいのだ。過去の傷とか、トラウマとか承認欲求とかで周りの人間が怖いだけだという人もいるかもしれない。実際そういう言葉を山ほど見た。しかし、それ以上に、私にはやっぱり、私以外の人間が全然違う化け物かなにかのように感じる。もう生まれ方を間違ったとしかおもえない。

 死にたいわけじゃない。死ぬのは癪だ。私は負けず嫌いなのだ。ここで死んだら世間に負けた気になる。もう人との繋がりとかどうでもいい。それを賞賛する社会の声だってもう雑音でしかない。だれもいない絶海の孤島とか、なにもない荒地とかに移り住んで一生を過ごしてやる。いま決めた。三十歳になるまでに実行する。気が狂っているだろうか。そうかもしれない。

毎秒死にたいと言ったら泣かれた。

 大学時代、自意識と劣等感をこじらせて毎日「死にたい」とおもっていた。

 周りと自分を比べて、誰よりも劣っているように感じて、理想の自分にまったく届かないことにイライラして、ストレスを溜め込み、だれにも相談せず、鬱にこそならなかったが、常に「死にたい、消えたい」と思いつめて日々を過ごしていた。自傷行為や自殺未遂こそしなかったが、鬱の一歩手前だったとおもう。

 色々考えた末に思いきって大学を中退したが、退学手続きが済んだ直後、視界に明度と色彩が戻った感覚がしたのをよく覚えている。

 数年ほどニート生活を送り、バイトをちまちま始めた頃だっただろうか、母との会話で、大学時代ずっととにかくしんどくて、死にたいとおもっていたことを話した。

 私としてはもう終わった話だったのと、「死にたい」とおもいながら生活することが当たり前すぎて、「あのときはこうだったんだよー」と軽い気持ちで当時の思いを口にしたのだった。

 そうしたら、母に泣かれた。どうやら当時私がそんなことを考えていたことに気づけなかったことがよほどショックだったらしい。私はとてもびっくりした。まさか泣かれるとはおもっていなかったからだ。

 そもそも、大学時代も私はことあるごとに「しんどい」「死にたい」と口にしていたのだが。なぜいまになってそんなにショックを受けるのか。

 確かに、思い返せば私は母にもだれにも弱みを見せないようにしていた、とおもう。おそらく。かっこわるいとおもっていたので。

 「死にたい」とおもっていることについてだれかに相談しようとはおもわなかった。そもそもその発想がなかった。友達は一人もいなかったし、家族も共感も理解もしてくれるとは到底期待できなかったからだ。たぶん私がこぼした「死にたい」も冗談のたぐいだとおもわれていたのだろう。実行に移さなかっただけで、死にたかったのは本心だったのだが。

 どうにも「死にたい」という気持ちは伝わりにくいらしい。私は自傷も自殺未遂もしたことがないので、それらをしている人にしたら「そんなの本当に死にたいわけじゃない」「鬱じゃない」と言われるかもしれない、とおもいながらこれを書いている。

 ようするに引け目を感じている。それなりに心身ともに健康で、生活にもさほど困っていないのに、「死にたい」とおもっていることに引け目があるのだ。でもときどき、心から「生まれてこなければよかった」とおもうときがある。ちなみにいまである。

 まあ自殺も自傷もしないとおもうので、別にこれを書いている人間の心配は無用である。

筋の通らない新聞屋さん。

 日曜日にやってきた新聞屋さんのセールスを聞いて、「筋が通らないなあ」と感じた。

 「半年間無料なのでどうですか」

 そういうサービスなのかと聞いてみると、どうも違うらしい。セールスの人いわく、「私(セールスの人)が新聞代を払うので無料です」とのこと。実際に聞いたときも「ん?」となったが、書き表すと余計にわけのわからなさが浮き彫りになる。

 どうもセールスの人にはノルマがあるらしく、一日に何件注文を取らなければならないという決まり、というか、指示があるらしい。だから何が何でも注文を受けたいそうだ。

 と、言われても、こちらも安い給料を節約して暮らしている立場だし、正直新聞は取りたくない。「新聞は日本の文化ですしね、残さないと」と言われても「はあ」と答えるしかない。

 だいたい、セールスの人が代わりに新聞代を払わないとこなせないノルマってなんだ。ブラック企業なのか。新聞代の肩代わりが新聞社の指示がどうかは知らないが、「大丈夫、私この道四十年やってるから。上手くやるから」と言われても、「いやいや上手くやるって、それ本当はやっちゃいけないってことでしょ」と警戒心がマックスになる。

 こちらとて、もういい大人である。規定された料金を支払って、それに見合ったサービスを受け取る。一時的に得ができるからといって、当たり前のことをないがしろにできない。潔癖だと笑う人もいるだろうか。

 それにしても、なぜサービスないし物を売るセールストークが、

「こっちで上手くやるから」

「文化だから」

「ノルマこなせないと大変なんです」

 なんだろうか。

 どうせなら、「若い人も世の中を知っておかないと」「情報量多いよ」「ネットより質がいいよ」と、新聞が買いたくなるような言葉が聞きたかった。

「こっちで身銭切るから」「ノルマが」と言われても、「いや、こっちもボランティアじゃないし……」と困惑せざるをえない。そちらは商品を売りにきたのではなかったか。そちらの商品を買うことで、私にもたらされるメリットを提示できないのなら、それは商売ではなく物乞いではないか。

 結局、「玄関のドアが開けっ放しで寒い」という理由で、新聞屋さんには話を切り上げてもらった。

 新聞屋さんが帰ったあとで、あのセールスの人はまた別の家に、「自分が金を支払うから」と言って、注文を取ろうとするのだろうか。ひょっとして、いまどこの新聞社も同じような状況なのではないか。そんなことを想像して、背筋が寒くなった。

人が怖いということに気づけなかった。

 どうやら私は小さい頃から他の人とは違っていたらしい。幼稚園や小学校低学年の通信簿にも「他の子とまるで感性がちがう」と書かれたそうだ。そのことを話した父はどこか誇らしげだったが、私はあまり嬉しくなかった。他の人と同じ感性で生まれてきていれば、もっと楽に生きられたにちがいないと、半ば恨めしくおもうほどだった。

 私の一番古い記憶のひとつは、ピーターラビットが描かれたクッションカバーの絵を、至近距離で延々見続けている記憶だ。ピーターラビットの絵そのものより、絵の一つひとつを囲む、簡略化された畑の畝と野菜の線を見続けていたことをよく覚えている。

 私は一人遊びが好きな子どもだった。幼稚園でも小学校でも、グラウンドの隅の金魚の泳ぐ池を凝視したり、校舎裏の畑で遊んだりしていた。その頃は一人が好きだとか、人が怖いとかいう自我すら確立していない頃だった。ただ、幼稚園でも小学校でも、私は積極的に友達を作ろうとはしない子どもであったとおもう。

 時が過ぎ、年齢が上がるにつれて社会性がおぼろげに身につき始め、一人でいることが周りには奇異に映ること、友達がいないと大人に心配されること、私は本や漫画が大好きだったが、そういった人は意外なほど少ないことに気づいた。

 冷静に考えれば、自分が周りの人たちと大きく食い違っていることに気づいてもよかったはずだったが、私はそのことをいまいち理解していなかった。どこかで自分と周りの人が同じであるはずだと、擦りこみのように思い込んでいた。

 恨みごとのようになるが、そう思い込んでいたのは母が大きな原因だとおもう。母は私と三歳離れた姉、二人の我が子を「私の宝」「この世でなによりも大事」と言ってはばからない人だった。また、私と私の姉の学校の成績がいいことを、自分のことのように喜んだ。祖母が私たち孫のことを大層可愛がっていることを引き合いに出して、「うちの子優秀」「祖母は優秀な子が好き」「あんたたちはできがいい」と、やたらめったら褒められた。いまでも母は「あんたたち子どもは私の体から生まれた、あんたたちは私の分身」と言う。

 おもうに、母は自分と子どもの区別がついていない人だった。子どもの優秀さは自分の優秀さと同義であり、それを心から誇りにおもっていた。また、母は私に世話を焼かずにはいられない、過保護な人だった。

 母に世話を焼かれ、褒められ、甘やかされて育った私は、知らない間に「私のことを他の人が理解できないはずがない」と考える、他人と自分が別の人間であることが理解できない大人になっていた。ここまで気づくのに二十余年かかった。

 生まれたときから人と感性が違い、なおかつ「自分と周りの人は同じなはず」と思い込んで育った私は、成長するにつれ、常時エイリアンに囲まれているような恐怖の中で生活することになった。

 話しているのに聞いてもらえない、言葉が通じているはずなのに理解してもらえない、周りの言動の意味がわからない、ささいな選択や行動の違いや理由がまるで理解できない。周りにいるすべての人間が自分と違う生き物のようにおもえたし、周りの人も私のことをエイリアンかなにかのように見えていただろう。当時はまるで理解できなかったし、そう感じる原因と理由に気づくこともなかった。

 あまりに常時、人=自分と違う存在に囲まれる生活を送っていたため、私は自分が「周りのことを怖いとおもっている」という感覚すら忘れた。生まれたときから地球の重力のある場所で生活してきた人間が、重力をわざわざ「重い」と感じないことに似ている。

 また、私は年齢を重ねるにつれてさらに小説、漫画、映画、ドラマといったフィクションの世界に没頭していった。物語の世界にいる間は、現実の違和感や苦しさを忘れられた。なにより、作られた物語の中に「自分」という存在がいないことが、なにより心地よかった。人と違う私は、周りからいつも奇異の目で見られている感覚に陥っていた。私にとって生きるとは、周りの人に白い目で見られ続けることと同義だった。それから逃れる術は、当時の私にとって物語の世界に逃げ込むことだけだった。

 「人が怖い」という感覚に気づけないまま生き続けた私は、いつしか「消えたい」「死にたい」とおもうようになった。生きている間ずっと正体不明の不安感に襲われていた私は、もうそれ以外に逃げる方法がないようにおもわれた。

 物語の力でなんとか二十代前半まで生き延びた私は、一人暮らしを始めた。ささいなきっかけで始めたピッキングのアルバイトが性に合っていたようで、そこそこの期間を続けて貯金額が増えた。すると、急に親元を離れたい気持ちが強く沸き上がった。とにかく母から逃れたくて仕方がなかった。

 ひいこら言いながら物件を探し、もろもろの手続きを済ませ、一人暮らしがスタートした。だれもいない小さな部屋は、私にとって安住の地だった。

 アルバイトを続けて、贅沢はできないがそこそこの生活を続けていた。

 あるとき、風邪と気温差のダブルパンチを食らったせいか、軽度の鬱に近い状態になった。体が重く、いつも以上に気分がだるく、泣きたい気持ちになった。

 あまりにつらかったので、なんでこんなにつらいのかと考え始め、私は自分に問いかけた。振り返ると、私がまともに自分のことについて考えたのは、これが初めてだったとおもう。いままでは、日々の勉強や学校行事や部活や他のやらなければいけないこと、現実を忘れさせてくれる物語に没頭するあまり、自分がいまどんな状態にあるか、少しも考えていなかったようだった。(物語は私に現実を忘れさせ、目を閉じさせていたが、同時に小説や映画という物語がなければ、私はここまで生き延びられなかったとおもう。)

 そして、私が自分を見つめて浮かび上がった欲求は、「人に認められたい」というシンプルなものだった。

 自分は人とは違う、でも人に認められたい、当たり前に、同じ人間として受け入れてもらいたい。そんな欲求から、私はずっと目をそらしていた。人に受け入れてもらうのは不可能だとおもっていた。

 だからずっと、私は人が怖かった。そのことに、やっと気づけた。

 不思議なことに、自分がずっと人を怖がっていたことに気づいたとき、「もう人を怖がる必要はないのだ」とおもえた。

 いままでは人に接するときに最大限に警戒レベルを引き上げて、少しでも受け入れてもらえなかったら殺される、というくらいの恐怖心を持って生きていた。

 でも、自分がいままで他人と自分の区別がついていなかったこと、他人に理解してもらえて当たり前だとおもっていたこと、だから理解されないことと理解できないことが受け入れられなかったこと、ずっと人に対して恐怖心を抱いていたこと、ずっと人に認められたかったことに気づいたいま、もう、人を怖がらなくてもいいのだとおもえた。

 その翌日は自分が脱皮したかのようだった。人の視線が気にならない。周りの人が自分をどう見ているまったく考えなくていい。体が軽い。心が軽い。大げさでなく、新しい人生が開けた。

 私はずっと心が弱かったのだとおもう。でも、人が怖いと気づけたいま、少しずつ心を強くしようとおもっている。人と目線を合わせて、挨拶をして、もっとずっと、自分の好きなことを好きなようにする。たぶんもう、消えたいとはおもわない。

 

ポリコレ棒で殴られるのは怖いが、他人を殴るのは楽しい

「ポリコレ棒で葬られるのが怖い」というタイトルがついた記事を読んで、時間差でひしひしと怒りがわいてきた。

 一言で言うと、「貴様、何様のつもりだ」と。

 要するに「自分はいままで普通に気持ちよく生きてきた。これからもそう生きたい。でもLGBTに反発するとそれができないから悲しい」という主張だ。

 そもそも「心のままに生きたい、主張したい、行動したい」と思っているのが我が侭すぎる。状況や相手を慮って発言や行動を控えるくらいできるだろう。

 そしてLGBTを理解できようができまいが、「この負の感情を正直に言うことこそが正しく、誠実である」と思っているのが読んでて鼻持ちにならない。

 Bさんは「『うち実家の花畑はキレイだなあ』と思っていたら、いきなり戦闘ヘリが飛んできて機銃掃射で荒らされる、みたいな気持ちになる」と言っているが、これは「ゲイやオカマを馬鹿にして笑い者にするのは楽しかったが、それに横槍を入れられた」ことの例えだ。

 入れるに決まってんだろ。いままで入らなかったのがおかしいんだ。

牛乳石鹸の例のCM 与えるものと与えられたもの

 ネットで話題になった牛乳石鹸の例のCM。

 批判的な声が相次ぎ、意味不明だの父親サイコパスだの殺人事件だの、散々な意見が飛び交っている。

 それはひとまず置いておいて、私が一番気になったのはフルバージョンのムービー開始1分56秒ごろから始まるこのセリフだ。

 

「親父が与えてくれたものを、俺は与えられているのかな」

 

 youtubeに公開されたWEBムービーのタイトルが「与えるもの」であることから、CM制作者が意図したテーマはここに込められていると考えるのが自然だ。

 では、「親父が与えてくれたもの」とは一体なんなのか。

 ムービーの説明文にはこう書かれている。

 

「昔気質で頑固な父親に育てられ、反面教師にすることで今の幸せを手にした彼。」

 

 つまり、「彼」は頑固だった自分の父親の生き方に否定的だったことが窺える。

 しかし「彼」は開始1分2秒で「でも、それって正しいのか」と父親と真逆の生き方を選んだ自分に疑問を持つ。

 なぜ「彼」は自分の生き方に疑問を持ったのか。

 CM内の「彼」の過去回想の場面、ムービー開始から52秒時点で、玄関から出かける父親の背中。父親の顔は見えない。58秒時点で「彼」と思しき少年がグローブを片手に壁を見つめている。おそらく、壁打ちをするつもりなのだろう。しかし視聴者には、少年だった「彼」が本当は父親とキャッチボールをしたかったことが想像できると思う。

 回想が一時中断し、大人になった「彼」は息子のプレゼントにグローブを選んでいる。きっと父親を反面教師にした「彼」は、休日には息子と公園にでかけキャッチボールをするのだろう。かつて幼い自分がそうしてほしかったように。

 家族思いの優しいパパ。「彼」は自ら望んで生き方を選び、幸せを得た。

 世間的に見ても褒められこそすれ、非難されるような生き方ではない。少なくとも、妻や息子にとっては理想的な夫で、父親であるはずだ。

 それなのになぜ、「彼」は疲れた顔で疑問を呈しているのか。

 冒頭に書いた1分56秒のセリフ。この回想場面で、少年だった「彼」は父親の背中を一生懸命に流している。自分より遥かに大きく、広い背中。父親は少年の憧憬そのものだったのだろう。真剣な手つき父親の生き方を否定する息子の姿は見られない。

 つまるところ、「彼」は自分の父親が好きだったのだ。

 仕事ばかりで家庭を顧みず、遊び相手にもなってくれない父親を憎みながら、どうしても嫌いになれなかったのだろう。むしろ、自分の生き方に絶対の自信を持った背中に、尊敬の念すら抱いていたのかもしれない。

 このCMでいう「親父が与えてくれたもの」とは、尊敬される大人の姿、目指すべき父親像といったところだろう。つまりは人生の指針である。

 しかし「彼」は、父親から与えられた指針とは真逆の姿を選んだ。CM内の言葉通り時代の流れもあるのだろう。

 自分の選択と、時代が求める父親の姿勢。どちらも子どものころ描いていた将来像とは別物だった。それに気付いた「彼」の胸中はどんなものだったのだろう。

 はっきり言っておきたいが、朝ゴミ出しをし、プレゼントとケーキのおつかいをこなし、子どもと休日に遊ぶ父親は、本当に素晴らしいと思う。

 ここで言いたいのは、子どものころ思い描いていた大人になった自分と、実際に大人になった自分のギャップによるストレスだ。大人になった「彼」は、自分の父親に見ていた、あるべき大人の姿が体現できているか不安なのだ。上司に怒られた部下を慰めたり、妻からの電話に出たりしないのは、選択によって捨てたかつての目標へのちょっとした足掻きである。

 子どもっぽい、そして遅すぎる足掻きである。しかしかつて少年だった「彼」に、少しだけ過去を思う弱さを許してもいいのではないだろうか。

 時代は移り変わり、価値観は多様化して目指すべき指針というものは実質なくなってしまった。そんな時代のなかで、「彼」は自分の息子にどんな「大人の姿」を与えられるだろう。「彼」の悩みはCMの最後になっても完全には晴れない。

 でも、とりあえず、お風呂にはいって、一日の疲れと汚れを落として、また明日。

 がんばれ、お父さん。

 

 

 というのが、CM制作者の意図なんだろうけど、ぶっちゃけ生命保険のCMとかの方が向いてると思う。

 

感情の正しい伝え方を考える

 怒りや悲しみの感情を人に伝えると、それ自体が悪いことのように反応されることがある。

 そういった場合、「私は悲しい」「私は憤っている」と伝えられた人が「自分は責められている」と感じるのが大きいように思う。

 また、「怒っている人を見たくない」「悲しんでいる人がいることを認知したくない」という他人の負の感情に引きずられたくない人もいるように感じる。

 

 では他者のヘイトをかき立てずに感情を伝えるにはどうすればいいのか。

 自分なりに考えたことを書きつらねる。

 

1.何に対して怒っているかはっきりさせる。

 まず、怒り(悲しみ)といった感情の矛先をどこに向けているかはっきりさせる必要がある。

 感情の矛先は個人や不特定多数のグループではなく、行為そのものに向けるべきだと私は考える。「罪を憎んで人を憎まず」の精神である。相手の人格を攻撃すると、相手も自分を守ろうと感情的になり双方の幸せにならない。

 「あなたが気に入らない」ではなく「あなたのこの部分、あなたがしたこの行為が気に入らない」と伝えると、相手の人格を否定することなく感情を伝えることができる。

 

2.感情を伝える理由を説明する

 私が一番大きな声で伝えたいのはここだ。

 「感情を伝える理由」と聞いて、「怒っているから」「傷ついたから」と思った人へ、

 違うと思う。

 泣いたり怒鳴ったりする行為は、相手に何かを伝えるための手段だ。

 相手に何かしてほしいことがあるから人は感情を発露する。

 自分の感情は、基本的に自分しか理解できない。自分の内側で制御できないほどの感情が膨れ上がっても、たいてい他人はその理由を、想像することすらできない。

 そして「感情の理由を伝える」とセットで言いたいのが、

 

3.相手にどうしてほしいか伝える

 である。

 人は感情に捉われると「なんでそんなことするの!」と感情を発散させるために言葉を使い、「どうしてほしいか」を伝えるのを怠っていることが多い。

 ここで面白いのが、感情を表に出すときに「なんで!」と大抵疑問形になっていることだ。

 「なんで!」と叫んでも「それは○○○だからです」と返ってくることはまずない。「なんかよくわからんけど怒ってるな」と思わせるだけである。

 「なにをしてほしいか」を相手に伝えないと、怒られた原因がいつまでもわからないので相手は同じことを繰り返す。そしてまた相手の癇に障ることをして、爆発……。

 

 まとめると、

・感情の矛先をはっきりさせる

 (相手の行為に矛先を向ける、相手の人格に矛先を向けない)

・感情の理由を伝える

 (自分がなぜ怒って、悲しんでいるかを伝える)

・相手にどうしてほしいかを伝える

 (してほしいこと、してほしくないことを具体的に伝える)

 

 上のまとめを読んで「面倒くせえ」と思った人。

 そう、私の言っていることはとても面倒くさい。

 なぜなら冷静に客観的に、自分の感情の理由を自覚し、相手に具体的に説明をしなければならないからだ。

 しかも、ムカッときたりイライラしているときに。

 自分を客観的に分析することも、相手に説明することも骨が折れて頭を使うのに、なんでこんな面倒なことを・・・・・・と思った人は多いと思う。

 ただ、人は「こうしたほうがいい理由」を知ると、意外なほどにフットワークが軽くなる。

 一度理由を伝えてしまえば、「そうしたほうがいい理由」が相手の頭に入っているので、今後説明する必要もない。(相手が忘れない限り……)

 ただただ感情のみをぶつけ合い、本当に望んでいることを伝えないまま関係が壊れ、修復不可能になってしまうのはあまりに悲しい。きちんと話し合えば、今後何十年も良好な関係が続いていたかもしれないのに。

  怒られた人に言いたいのは、怒られるということは、相手が自分に期待しているからだ。相手に向かって怒鳴ったり泣いたりするのは、自分をより理解してもらうことを相手に期待しているからだ。

「この人は私がなにを言っても変わらない」と思う相手にはなにも言わない。怒りも泣きもしない。人はやっても意味がないことをしない。しょせん「見限られた」状態である。喧嘩ができるのは、お互い話し合う余地があると無意識に考えているからだ。

 

 感情的になったときは、ほんの少しだけ深呼吸して頭を冷やしてみてほしい。コツやポイントを抑えれば、伝えたいことを正しく伝えるのは難しくない。